2003年ライブ第2部約10分の休憩を挟んで2部の開始だ。休憩中にちょっと打ち合わせ。 時々高い声が裏返る時があるのだが、空気が乾燥しているせいか?と言うことで、会場の冷房を止める。 勇造さんも暑い方が調子が良いとのこと。 休憩中にも、CDやTシャツが欲しいと何度か問い合わせがある。 ラストにサイン会も兼ねて売りますのでと、待って貰う。 2部は白地に黄色のプリントに木の絵が描いてあるTシャツで登場。 1曲目はその日の天気にちなんで、「雨のブルース」を唄って貰う予定だったが、急に予定変更で「ギターが友達」を唄う。(曲の詳細は僕のページを見てください) 実は、会場の最前列に、毎年来てくれる子供達の保育園時代の保母さん3人組が座っていた。今年は、更にもう一人保母さんを連れて、そして一番年輩の人が大学生の息子さんを連れてきていた。 その息子さんがバンドでギターをやっていて、勇造さんの手の動きをじっと見て、自分も手を動かしているのを見て、勇造さんはとっても嬉しくなったらしい。そして、自分がギターを弾き始めた頃の、この歌を唄いたくなったのだ。こんな風に、その会場の雰囲気でライブの曲順だって変わっていくのだ。 親を泣かして今ここにいる でも後悔なんかしないよ 本当の事は忘れたけれど くたびれるのは人だけでない 太陽も水も月でさえ ギターよ今夜を飛ばせておくれ 本当の事は忘れたけれど これからもギターが友達 多分俺の友達 その大学生の男の子は、ライブ終了後勇造さんのピックが欲しいとねだって貰っていた。これは多分、女子学生が好きな男の子の第一ボタンを欲しがるようなものんだろうなあと僕は微笑ましく見ていた。 来年は彼が友達を連れてリピーターになってくれないかな? そして渋いブルースの「雨のブルース」。 この歌も僕の大好きな曲で、打ち合わせの時に別のブルースが入っていたのを、今日は雨だから・・と変更して貰ったのだ。 さびしくやるせない歌詞が素晴らしい。 それでも変わらぬ この寂しさ あてもないのに歩いてしまう ねじれた足で石を蹴る おどけたつもりが深すぎた水たまり 乾いた唇人を求め 上目遣いに女をさがす いじけた自分がいやになる頃 もはやくる夜ひとつ 朝来た道を引き返す 引いた扉を今度は押せば 電灯のひもまで 嫌がらせ こんなに夜が長いなら いっそ死んでしまおうと 思った矢先に誰が唄うか 雨のブルーズひとふし 瓦になりたい土砂降りのした 一晩雨に打たれたら この寂しさも きっと消えるし・・・ この曲の前から、子供が騒ぎ出しので、配偶者は2階へ上がって行かねばならず、2部は殆ど聞けなかったと・・。非常に残念がってました。 そして3曲目は、これも僕のリクエスト「ブルースとお前に会った頃」。 この曲はアルバム「マンゴーシャワーラブレター」のラストを飾る曲で、勇造さんの京都時代の青春??を唄った曲だ。 僕が感じるに、今年のライブでの白眉はこの曲だった。とつとつと語りかけるような導入から、サビのリフレインの前には、耳に突き刺さるような大きさでギターが鳴り響きリフレインに突入する。 宝と言えばギターが1本 気が狂うのを救ってくれた~ ~何を狙っても打ち落とせずに それはまたそれで楽しかった つがれた酒は飲み干してきた 抱ける女は抱いてきた 真っ直ぐ育った幼なじみに その気楽さは罪だと言われ 夜の河原に頭打ち付け 俺は罪人かと叫んでいた そんなとき夜の向こう側から 軽い足取りでお前が来て 愛された分せめて愛し返せたら そんな気分に初めてなった 何千目回かの夕焼けの下 あの日と同じ河原に立てば 走馬燈みたいに現れては消える 京都の夏俺の二十歳 色で言うなら深い紫 ブルーズとお前に会った頃 愛された分せめて愛し返せたら そんな気分に初めてなった~ 最後のギターが鳴り響いたあと、一瞬の静寂の後に大きな拍手が。 友人は、一瞬これでラストかと勘違いしたそうだ。 4曲目は新曲の「アンコールへの道」。 最初にリハーサルの時に、仕事をしながら聴いていて、サビの「アンコールへの道はまだ遠い」という歌詞が聞こえていたので、これはきっと歌のアンコールの話だと思っていたらぎっちょん、カンボジアのアンコールワットへ旅した時に出来た歌であった。戦争の傷跡に触れた勇造さんが、美しく悲しいギターピッキングに乗せて唄う。 戦わなくていいように 願いが力となるように アンコールへの道はまだ遠い そんなリフレインが印象に残っている。 5曲目の新曲の「夢で逢えたら」 これも美しい旋律の曲で、一見ラブソングのように思えるけど、よく聴くと 亡くなったお母さんの事を唄った歌だと分かる。 そして2部のラストは、勇造さんの歌の中で、もっともスケールの大きく、かつ傑作だと僕が思っている「チャオプラヤ河に抱かれて」。この歌は、いずれページに書こうと思っているが、勇造さんの歌には彼の生き方を唄った歌、そして異国への旅から出来た歌があるけど、この歌はその両者が絶妙に混じりあった傑作だ。長い歌だが、リフレインだけここに記しておく。 メーナム~チャオプラヤ河に 抱かれてアジアの子供に返りはじめる~ 大きな拍手の中「おおきに!!!」と何度も繰り返しながら勇造さんは退場。さあ、アンコールだ!! アンコールは、当初の計画では2曲の予定だったが、また勇造さんが突然唄いたくなったと言って、「オールドマン・ブルース」を唄う。この歌は一昨年のライブで新曲と紹介された曲。年をとるのも悪くない、しなやかに生きていこうと唄われる。 頑固じゃないよ 素直なだけ 草の緑虫の声 ふとした事が嬉しくて こんな歌があっても良いよね 年をとるのもいいもんだ~ こんな風に年をとれれば、いいよね~。 アンコール2曲目は僕のリクエスト「青函連絡船」。この曲の歌詞は以前日記で書いたので省略。でも、少しだけ。 そんな時代が苦しくて 今旅に出た~ 久しぶりに北国の友達に会いたくて 今青函連絡船に乗り換えるところ~ ~中学生が夢をみるのに 針を打ち出した そんな時代が苦しくて 今旅に出た~ そして最後の曲は、「古い友人の新しい旅立ちの為に唄います」。 そう言って古い歌「11時の鐘」が唄われる。 その人Yさんは僕もよく知っている。まだ僕が高校生の頃、勇造さんのライブを主催してくれた人。その日も一番前の席で体を揺すっていた。 長年手塩にかけた店をたたみ、奥さんや子供さんとも離れて、一人で新しい道を歩き出した人。その人を励ます為に唄われる歌。リフレインの 明日また始めればよい を聴いた時、ああ勇造さんはこのリフレインを彼に聴かせたかったのだと分かった。リハーサルの時に、ちょっと話をした(僕と話をした限りではYさんの現状を勇造さんは知らなかったはず)、そのときに聴いた話で今日のラストにこのリフレインを彼に聴かそう、自分の歌で友達を励まそう。そう出来なければ、歌じゃない。歌にはそういう力があるはずだ。勇造さんの思いがこっちまで伝わるラストであった。 今年は昨年よりちょっと少なくて、所々空席があった。 切符を切ったのは29枚。椅子に座ったのは37人。 でも、ライブの後にはCDが8枚(多くは3枚組)、Tシャツが2枚、勇造さんの日記が載っている雑誌「雲遊天下」が3冊売れた。 2500円払ってライブに来た上で、5000円のCDを買ってくれるのは大変な事だと思う。 後かたづけをして、いつもは近所の居酒屋へ行くところ、今年は家の2階で手伝いに来てくれた女子高生とYさんも混じって打ち上げ。 保母さんの息子の大学生は、とっても勇造さんにインスパイアされていたけど、お手伝いに来てくれた16才の女子高生にはイマイチだったようだ。 自分たちの世代はあまり音楽も聴かないと言っていた。 でも、僕が勇造さんを初めて聴いたのは16才の時だったし、もっともっと若い人、そして今まで勇造さんを聴いたことのない人達が、もっともっとライブに来て欲しいなあ。そうすれば、僕も「種をまく」そんな仕事をした気になるよ・・そんな風に思いながら夜は更けていった。 一晩明けて・・ 今日は愛媛県の北宇和郡という、僕の住む町とは四国で対極にある場所でライブがあるので、朝の9時8分という早い列車に乗る。 いつもはお昼頃までゆっくり話しなんぞするけど、今日は慌ただしかった。 昨日と同じく、家族全員でお見送り。 駅弁、新聞を差し入れする。 特急列車がホームに滑り込み、僅かの停車時間ですぐに発車する。 「また来年!!!」 僕たちも、勇造さんも同じセリフを何回も言いながら、手を振り合ううちにドアが閉まって列車は走り出す。 子供達が後を追って走り出す。 「歌いながら夜を往け」のフレーズを思い出す。 温かい気持ちが俺を包む 良いことは続く方が良い 旅の途中で貰った種を 夜の窓から撒いていこう 人の心よ凍てつくなよ 唄いながら夜を往け 来年もよろしく ジャンル別一覧
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